【中文】
真冬の早朝、空がまだ明るくなっていないころ、甘粛省白銀市十字街の北の外れは既に立ち並ぶ人でいっぱいになっていた。他にもたくさんの人たちが続々とここに向かっている。彼らは小さな建物に挟まれたゲートに集まり、眠気覚ましにたばこを吸ったり、壁にもたれて休んだり、交差点の屋台で朝食を買ったりしていた。突然、高らかな汽笛の音が街の空に響き渡った。汽笛は次第に遠くから近づいてくる。この時、ゲートが機械に引っ張られてゆっくりと開き、人々は静かに、秩序正しく門の中に入っていった。間もなく大音響の汽笛が鳴り、上遊型蒸気機関車が巨大なうなり声と共に薄緑色の車両をけん引し、ゆっくりとプラットホームに入ってきた。空はようやく徐々に明るくなり、深く澄んだ青空が広がってきた。停車後、配管から噴き出す蒸気はすぐに車両を包み込んだ。乗務員がきびきびした動作でドアを開けると、乗客は素早く暖かい車内に入り、列車が再び動き出すのを待った。「臨時駅」と呼ばれるこの場所は白銀鉱区鉄道の起点だ。ここは蒸気機関車が普通に運行し、客車をけん引している数少ない路線でもある。
白銀。これは実際、ハイクラスでゴージャスな名前だ。この町は鉱山のためにできた。白銀市は甘粛省の地級市(直轄市・副省級市ではない大きな都市)の一つだ。省都・蘭州市の東北に位置し、その歴史は明朝の洪武年間(1368~1398年)にまでさかのぼる。王朝が当時ここに「白銀廠」という役所を設置したことからその名が付いた。白銀市は新中国の「第一製銅炉」として知られ、「銅城」とも呼ばれている。近年は銅資源の枯渇により、白銀市は産業のモデルチェンジを始めている。
鉱山のある場所には当然、輸送用の鉄道がある。1957年末、銀山駅と露天掘り銅鉱山を結ぶ白銀鉱区鉄道が開通した。全長は約25キロ。白銀鉱区鉄道は貨物列車のほか、鉱区労働者を乗せる通勤用の緑皮車(深緑色の客車)もある。通勤列車は白銀市市街区の臨時駅を出発し、公司、六公里、三冶煉、東長溝の各駅に停車し、山中にある終点の深部銅鉱駅に到着する。2013年6月以前は1日何本も運行していたが、現在は朝昼晩の各1本ずつに減らされた。
運行を止められる蒸気機関車
白銀鉱区鉄道がユニークなのは、現役の蒸気機関車がまだ生き残っている点だ。ここが最も輝いていた時代には、17両の上遊型蒸気機関車と4両の建設型蒸気機関車があった。
しかし、月日の流れに伴い、活力あふれる蒸気機関車は徐々に老境に差し掛かってきた。これに部品不足も加わり、鉱区は次第に蒸気機関車を減らしていった。2003年がターニングポイントだったと言っていい。鉱区は新しいディーゼル機関車を購入し、また蒸気機関車を減らした。2014年2月時点で鉱区には蒸気機関車が2両しか残っていない。上遊型の1470と1581だ。この2両は廃車となった仲間の車両から部品を取り出し、生き続けている。
公司駅近くの車両基地では、小さな建物の前の黒板に運行関係の各種統計データが書かれていた。近くで上遊1581の運転士らが忙しそうに水や石炭を機関車に補給していた。年配の運転士に話を聞くと、彼はもうここで26年も運転していると自己紹介した。運転技術の訓練と審査は全て国鉄が責任を負っているという。ディーゼル機関車はより効率的で、労働環境も快適だとして、彼は蒸気機関車が姿を消すのを良いことだと考えていた。「でも工場側はそう考えていない。今は燃料がとても高いし、蒸気はほとんどコストが掛からないからな!」。彼は給水塔の背後にある石炭の山を指差して続けた。「そこの石炭は数年前に買って、まだずっと使える。俺たちの蒸気機関車はもう寿命が来ている。パーツが見つからなくなったら引退させられ、ここで解体されるよ」
白銀の蒸気機関車はなぜ運行をやめないのか。もう一つの重要な理由は客車のけん引だ。冬の間、蒸気機関車だけが通勤用の車両に暖房を供給できるからだ。白銀鉱区鉄道の所有する緑皮車は暖房用ボイラーを取り外しており、暖房用の配管は送風管を通じて蒸気機関車とつながっている。蒸気機関車には「ゴールド式暖気減圧バルブ」という装置があり、蒸気の圧力をコントロールし、自身に動力を供給するとともに、客車に暖房を送る。このため、白銀の緑皮車の連結器の下には、ブレーキ用の圧縮空気管の他、暖房供給用ダクトもある。しかし、新しく購入したディーゼル機関車にこの仕組みはない。
ここがにぎわっていた情景はもう消えうせた。車両基地と壁で隔てられた敷地には、既に廃棄処分になった蒸気機関車が2本のレールの上に並んでいた。上遊型も建設型もある。車両は前後ともぴったりと押し合い、もともと黒光りしていた車体は腐食でまだら模様になっていた。周囲は3メートル近い赤れんがの壁で、朽ち果てた蒸気機関車の姿を覆い隠していた。それでも、赤レンガの壁の上の有刺鉄線越しに、白い雪に覆われた車両の上部がかすかにうかがえた。壁に沿って敷地の出入り口に行くと、2枚の大きな金網の扉を隔てて、最前列に止められた2両の上遊型蒸気機関車の煙室扉が開いたままになっていた。まるで大きく口を開け、助けを求めて泣いているようだった。
奇妙な蒸気機関車の旅
白銀市市街区と鉱区を毎日往復する通勤列車は、早朝と午後、夕方の3本がある。これは2013年6月以降の新ダイヤだ。ダイヤ改正前には、朝に三冶煉行きの通勤列車が別に1本あったため、2両の蒸気機関車が並ぶ壮観なシーンが見られた。
白銀市市街区の始発駅である臨時駅は、十字街の北端にある。これは2本の線路を持つ小さな駅だ。管理棟と簡易プラットホームもある。ここには塀がなく、人々はあらゆる方角からやって来て乗車できる。駅の北側には国鉄紅会線に接続する連絡線があり、ディーゼル機関車が折々貨物車をけん引して通り過ぎる。
毎日午前7時、夜が明けようとするころ、臨時駅の空に蒸気機関車の汽笛がこだまし、空っぽの車両が公司駅の車庫からけん引されてくる。現在の通勤車両は6両の緑皮車から成り、トイレやボイラー室などのコンパートメントは全て取り外されている。
私がここに来たのは旧暦正月の連休が明けた2日目で、通勤車両に乗っていた労働者はとても多かった。連日の大雪でレールの摩擦力が下がっていたため、最初の便は2台の蒸気機関車が前後についてけん引、推進していた。蒸気機関車の運転士は「山の斜面はきついから、雪の日はいつもこうしないといけない。でも昼過ぎに雪は解けるので、1台だけでけん引できるんだ」と話した。
蒸気機関車の運転士は発車前、ボイラーに水を入れ、火の勢いを保ち、駆動部に潤滑油を差し、慌ただしく上ったり下りたりしていた。
7時50分、2両の蒸気機関車の汽笛が前後で鳴り響き、列車は薄明かりの中でゆっくりと走り出した。車内では出勤する労働者がすし詰めになっている。大部分は先頭側の何両かの車両に集まっていた。これらの車両はより暖かい上、三冶煉駅の出口にも近いからだ。発車後、乗客の多くはすぐに居眠りを始め、車両は静まり返り、蒸気機関車のリズミカルな排気音がはっきりと聞こえてきた。老朽化した客車のパーツは振動でガタガタと音を立て、連結器がぶつかり合う音、車輪がレールの継ぎ目を通過する音が混ざり合う。列車全体でシンフォニーを奏でているかのようだ。
スピードが上がるにつれ、扉の隙間から寒風と共に雪が入ってきた。連結部も完全には密封できないため、配管から漏れた蒸気を絶えず吸い込み、車両内はすぐ濃い霧に包まれた。窓の外はまだ寒々とした青色だ。まだ燃え尽きていないオレンジ色の石炭の灰が煙突から噴き出て、空中を漂っていくのが折々はっきりと見えた。列車が加速したり、坂を上ったりする時に石炭の灰は飛んできた。
列車が停車した最初の駅は運輸部だ。ここは公司駅ともいう。白銀鉱区鉄道の中心だ。広い操車場があり、濃硫酸を載せた鮮やかな黄色のタンク車が数多く停車していた。操車場の西の端は蒸気機関車と客車の整備場だ。早朝と夜の便は臨時駅に戻った後、公司駅にけん引され、整備を受ける。
列車は公司駅を離れ、徐々に北の荒れ山に入っていく。六公里駅に停車した後、鉱区の中心の三冶煉駅に到着する。乗客の9割はここで降りる。列車が止まると、無人だったプラットホームがすぐに人で埋まった。人々は列車前方にある駅の出口に向かい、蒸気機関車近くではうつむいたり、手で頭を覆ったりして急ぎ足になった。蒸気機関車の煙突が大小の石炭の灰を噴き出し、絶えず空から降らせているからだ。これは蒸気機関車特有の体験だ。もし季節が夏であれば緑皮車は窓を開けるため、こうした石炭くずは車内を漂い、髪の毛にまとわりついてくる。
列車は引き続き山へと分け入り、山裾に沿ってくねくねと上っていく。傾斜の最も大きい区間はここにある。席に座っていると、列車が蛇のように曲がりくねるのがよく分かるし、蒸気機関車が大きくあえぐのもはっきりと聞こえる。火夫が懸命に石炭をボイラーに投入し、列車を一気に坂の上まで走らせるシーンまでも想像できた。
終着駅まで残り1キロになった時、列車は雪で覆われた中腹にゆっくりと止まった。ここは東長溝駅だ。この高く険しい駅にはわずか数十メートルの簡易プラットホームがあるだけで、ホームの下は絶壁になっている。乗客は下車した後、崖の小道から谷間の工場地区に向かう。
列車は山の中で巨大なS字カーブを曲がった後、終点の深部銅鉱駅に着いた。駅と一山を隔てて、巨大な露天掘り銅鉱山がある。この鉱山は国の第1次5カ年計画で決められた156の重点プロジェクトの一つだ。しかし、50年以上の採掘を経て、確認されていた銅資源はほぼ枯渇した。1号、2号採掘場は既に閉山され、坑道掘りに転換している。2010年3月、白銀市は全国初の資源枯渇モデルチェンジ都市として国務院に認定された。駅には何本も線路があり、貨物車を止めるのに使われていたが、現在は何もなく、普段は通勤列車が走るだけだ。
過去を探し求めて
赤れんがでできた古い事務所であれ、壁に書かれた各種スローガンであれ、「白銀有色金属鉱公司」のような建国後初の大型国有鉱山企業は至る所に歴史の痕跡を残している。ここでは22型客車が見られる。白銀の車両は、国鉄車両が工場で検査や修理を受けた時に施されたようなリフォームを免れている。ある22型の硬臥(2等寝台)車両は、車両全体に旧式の意匠を残していた。淡い黄色に塗られた木製の壁、天井、窓枠……。
毎日午後5時になると、列車は帰宅する労働者を乗せて臨時駅に戻ってくる。薄暗い夕日。ぼんやりとした空。濃い煙が立ち昇る遠くの煙突。老朽化した緑皮車。老いてますます盛んな蒸気機関車。でこぼこのプラットホーム。うつむいて駅の外に向かう人たちの群れ。これらは昔の工業時代の情景だ。こうした要素によって、中国の古い蒸気機関車を求める外国の鉄道マニアが白銀に引き寄せられてくる。デマではあっても、蒸気機関車が間もなく運行停止するという情報は毎回すぐにインターネットで広まる。しかし、運行停止はいつか最後には現実になり、昔日の記憶も写真の中にしか存在しなくなるだろう。